パレスチナ問題を解決できるか

政治学科教授

錦田 愛子


 中東地域の中でも最も長く戦争が続く場所の一つである、パレスチナとイスラエルを主な研究対象としています。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教という三つの宗教の揺籃の地であるエルサレムは、深い歴史と人々の思いのつまった場所です。それぞれの聖地をめぐり奪い合いが衝突となることもありますが、普段は各宗教の信徒がお互いの宗教儀礼を穏やかに日々実践し、他の信徒の信仰を妨げないよう共存が成立している都市です。

 ですがこれを独占しようとする思想の持ち主が現れると、聖地はとたんに危険な対立の場と化してしまいます。歴史的には8世紀のイスラームの草創期、11~13世紀の十字軍など、実際に武力衝突が激しく起きた時期は限定的です。そして現代、1948年のイスラエル建国後も、最も多くの血が流された時期のひとつとなっています。そこにはユダヤ教徒迫害の歴史など、ヨーロッパにおける社会的・宗教的軋轢が中東に転嫁されたとの背景もあります。ユダヤ民族の生存圏として建国されたのがイスラエルなのです。それによって逆に家と土地を奪われた人々の権利回復運動が、パレスチナ問題と呼ばれています。
 複雑な歴史と主張の絡むパレスチナとイスラエルは、しばしば特殊論として扱われてきました。歴史の検証と、現在の政権に問われる責任問題、国家の正統性や、めざすべき将来像がすべてつなげて捉えられ、他に例を見ない複雑な様相を呈しているためです。たとえば歴史修正主義をめぐっては、1980年代後半以降に公開された公文書をもとに執筆されたイスラエル建国史をめぐり、著者自身がシオニズム(ユダヤ人国家の建設をめざす思想・運動)を肯定するか否かが強く問われました。また2011年に起きた「アラブの春」では、アラブ諸国で一斉に民主化運動が広がる中、パレスチナは民主化すべき統一政府すら存在しなかったため、分裂した政府の統一を求める運動として展開されました。

 こうして他の地域との比較が難しいパレスチナとイスラエルの問題を、どう捉えて解決の糸口を提示していくかが、学問に課された課題だと私は考えています。実際の交渉と解決は当事者にゆだねられますが、さまざまな可能性を示すことは、柔軟な思考と新しい発想が求められる研究者の得意分野でしょう。また私はパレスチナが難民問題の解決を考える過程で、参照点としてアラブ系移民/難民をとりまく諸問題にも注目してきました。中立の立場に立てる第三者である日本人研究者として、問題の解決にわずかでも貢献できるように考察を深めていきたいと考えています。


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