「事実の世界」の現実を「法の世界」に反映する

法律学科専任講師

林 健太郎


労働法・社会保障法とは?

 私は労働法・社会保障法を専攻しています。
 労働法という分野は、会社(使用者)とそこで雇用される人々(労働者)との間に生じるさまざまな法律問題、例えば使用者が一方的に辞めろと言ってきたり(解雇)、上司や同僚から嫌がらせを受けているのに使用者がその状態を解決してくれない(ハラスメント)といった問題が生じる際に、その解決のあり方の追究を主たる任務としています。使用者と労働者が一対一で相対すると、労働者がどうしても交渉力の面で劣り、労働条件(給料や働く時間など)の不合理な決定や働く環境の改善について自力で解決することは難しくなります。そこで日本では、労働条件について最低基準を設けたり(例:労働基準法)、使用者の権限行使の仕方に一定のルールを設けたり(例:労働契約法)しているほか、労働者同士が集団を作って交渉する仕組みやルールを設けたりしています(例:労働組合法)。実際に生じる法律問題や紛争は様々であり、また人びとの働き方の変化などによって問題の様相も変化しますが、これらの具体的現実を念頭に、上で述べたような法律の解釈・適用のあり方(さらには立法そのもののあり方)を検討していくことが労働法という分野の主要な任務です。
 これに対し、社会保障法が研究対象とする社会保障制度は、病気やケガ、失業、老齢などによって、働くことを通じて生活費を得ることが難しくなってしまった場合にその所得を保障したり、あるいは子どもたちや病気・障がいを抱える人々、あるいは加齢によって一人では思うように生活を送ることができない人々を支え、社会関係を築いていくことを支援する制度と言えます。これらの社会保障制度を巡っては、給付・支援を必要とする人々はもちろんですが、給付・支援を行う主体(主として行政ですが、民間人に委ねている場合もあります。)のほか、給付・支援に必要となる税や社会保険料を拠出する主体も存在し、複雑な法律関係が立ち現れます。社会保障法という分野は、こうした法律関係がどのようになっていて、給付や支援を必要とする人々の権利・利益の実現が妨げられないよう、相互の権利義務関係をどのように考えれば良いかを検討することが主たる任務です。

「社会法」に属する分野として

 これらの法分野は、伝統的には「社会法」という分野に属すると言われてきました。そして、慶應義塾の法学部は、経済法学とともに「社会法」という看板を掲げてこの伝統を守りながら教育・研究を行なっている、数少ない大学・学部のひとつです(経済法と労働法の関係に関しては、拙稿「社会法の現代的意義を求めて」三田評論ONLINE2023年5月29日, https://www.mita-hyoron.keio.ac.jp/researchers-eye/202305-3.htmlも参照してください)。社会法とは、例えば民法の規律する関係のように、他者と対等な立場で取引関係を形成し、その取引を通じて当事者の利益が実現されることを予定する法律関係の背後に隠れてしまうような、人びとの「生活」を取り巻く生々しい現実を法の世界に取り入れていく、という問題意識を持つ法分野と言えます。労働法で言えば、使用者との間で対等な取引関係を築くことができず、現実の交渉力に劣る労働者、社会保障法で言えば、労働を通じて生活資源を得ることができない生活者、あるいは社会的に孤立してしまい社会関係の形成そのものを断念してしまっている人々の存在など、「法の世界」では必ずしも考慮・重視されない/されてこなかった「事実の世界」の現実を「法の世界」へと取り入れていく、というモチベーションを有していると言えます。

関心を持っていること

 私の研究上の関心は、広く言えば、「働くこと」と「働けないこと/働かないこと」との接点で生じる、人々の「働き方」や「生活」に生じる諸課題がなぜ生じるか、どのように解決していくべきか、を考えることにあります。このような問題意識から、これまで、「働くこと」で(それによってのみ)「生活」を成り立たせるような社会が、なぜ、どのような法制度によって形成されてきたか、ということを歴史的に検討してきました(拙著『所得保障法制成立史論』信山社, 2022年)。この基礎的研究の延長上で、現在は、人びとの働き方の変化に伴う労働法・社会保障法上の課題とその解決のあり方を探究しています。
 変化は様々な局面で生じていますが、特に次の二つの観点での接近を試みています。ひとつは、特定の会社のメンバーであり続ける働き方が相対化しつつあるという視点です。近年、副業・兼業労働者の増加、あるいは「労働者」とは必ずしも言い切れないフリーランスと呼ばれる、特定の企業組織にメンバーシップを持たない働き方が増加していると言われます。こうした新たな働き手を適切に支える立法政策を考えることももちろんですが、これまで形成されてきた労働法理論の背景には特定の会社のメンバーとして働き続ける働き方が念頭にありますので、そうした法理論をどのように見直していくべきかも大きな課題となります。
 いまひとつは、上で述べた点と関わるところもありますが、家の外に出て働くこと(主として男性が行ってきたこと)と子育てや家事などの家の中のことをすること(主として女性がやってきたこと)との境界線が曖昧になっており、そのことが働き方・生活の仕方に大きく、そして相互に影響を及ぼしつつあるということです。ワーク・ライフ・バランスという言葉がしばしば用いられますが、ワークとライフとをそんなに簡単には切り分けられないのが現実であり(ちなみに、私も子育て真っ最中の身ですが、「バランス」などという綺麗事では片付けられない現実に日々直面しているところです)、今後ますます働く人びとの働き方・生き方を悩ませ、変えていくと考えています(誰かのケア責任を負いながらの労働、病気を抱えながらの労働など)。
 これらはいずれも、「『働くこと』と『働けないこと/働かないこと』との境界」が曖昧になり、従来の法制度・法解釈が前提としてきた「労働」と「生活」の関係も変化し、ひいては労働法と社会保障(法)の役割分担のあり方にも変容を迫っていることを示唆します。しかし、現在の法制度や法理論がこのような「事実の世界」における変化やそこで悩む人々を適切に把握し、「法の世界」に反映していく作業は未だ途上です。私はこのような問題意識から、人々の「働き方」や「生活」に生じる諸課題の解決のあり方を考究しています。

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