学部案内PDF

授業ピックアップ

政治学科

1年生からの政治学

スッキリ解決しないから政治学がある。

政治学科 教授(現代韓国朝鮮政治/東アジア国際政治)西野 純也(にしの じゅんや)先生

日本・世界に目を凝らす学問

政治学科だけで30名を超える専任教員が、現代の社会が抱える諸課題について学生たちとともに学び、考えています。教員紹介を見ていただければわかる通り、専門分野は様々です。日本、アジアをはじめとする世界の各地域、さらには広く国際政治全般を研究する教員が揃っています。方法論も政治史、政治理論、計量分析など多岐にわたります。
したがって、政治学には多様な学び方があることになりますが、諸課題を解決して、私たち1人1人が、より安全かつ安心して、豊かに暮らせるようになるにはどうすればよいのか(よかったのか)、という問題意識を持って学ぶ姿勢は共通しています。
もちろん、全ての課題にスッキリした解決策が示せるわけでなく、むしろ現実はその逆のことが多いと皆さんは感じているでしょう。私たちに身近な地域社会でも、世界でも、対立や争いは絶えません。

ルールはどうやって決める?

この対立や争いを減らし、よりよい社会を実現するための人間の営みが「政治」です。多様な価値観や異なる利害を持つ人々がいる世の中で、皆が平穏に共存する社会を実現することはもちろん容易ではありません。国内政治や地域社会であれば、選挙を経てメンバーから委任を受けた代表者たちが、共存のためのルールを決めてそれを執行することになります。決定や執行の過程で行使されることがあるのが「権力」です。この一連のプロセスが私たちの利益にかなっているのかを検証したり確認するために、政治過程論や政策決定論という専門分野があります。また、政治制度論や立法過程論は、ルール(制度や法律)がどのように作られていくのかに焦点を合わせた学問です。よりよい社会と暮らしの実現という大きな課題を掘り下げて学んでいく学問体系を政治学は備えており、慶應では充実した科目編成によりその学びを実践できるようになっています。

理論を学ぶ? 現実の課題に挑む?

国内政治と異なり各国に対して強制力(権力)を行使できる世界政府の存在しない国際政治では、課題の解決どころか、問題が一層深刻化することがあります。国家間の問題を解決するために戦争が行われるという悲劇を国際社会は何度も経験してきました。どうすれば戦争のない平和な世界を実現できるか、という問いは今でも国際政治学の大テーマであり続けています。あるべき世界を目指して規範理論を学ぶか、核兵器という現実の課題からスタートするか、グローバル経済の光と影に目を向けるか、環境やエネルギー、保健衛生の分野に活路を見い出すか、国際政治学も色々な学びが可能です。どの分野に皆さんがより関心を持っているのか、1年生での学びを通じて探してみてください。キャンパスで皆さんと学ぶことを楽しみにしています。


何のための政治と政治学?

政治学科 教授(近代政治思想史)堤林 剣(つつみばやし けん)先生

課題だらけの現代世界

当たり前なことをいいますが、世の中にはいろんな人がいます。身体的特徴や社会的境遇の違いはもちろんのこと、価値観やアイデンティティ、さらには政治観もさまざまです。時の政権を支持する人もいれば、批判する人もいます。政治に無関心な人もいます。でも不思議だとは思いませんか。なんでこんなにも多様な人間が国家のような共同体をつくって平和に暮らすことができるのでしょうか。
いや、世界に視野を広げれば、みんながみんな平和を享受しているわけではありません。紛争に巻き込まれている人、そうでなくても不正や貧困に喘いでいる人は依然としてたくさんいます。
さらには、地球上に住むすべての人間にかかわるグローバル・イシューもあります。地球温暖化を含む環境問題、エネルギー問題、食糧問題、パンデミック、などなど。これらは多かれ少なかれすべての人間、いや動物や植物にも、そして未来世代にも影響を及ぼします。
政治とは、このような問題と向き合いながら状況を少しでも改善し、みんなが平和に共存できる秩序を形成するための人間的営為だといえます。
しかし、言うは易く行うは難し。グローバル・イシューの解決どころか、昨今、先進諸国においても「デモクラシーの危機」とか「社会的分断」とか「貧富の拡大」などによって、現状維持すらままならない状況になってきています。
では、どうすればよいのでしょう。

政治学を学ぶことの意義

政治学を学べば、解決策が明らかになる—わけではありません。残念ながら、世の中そんなに甘くありません。ですが、政治学の学びを通じて、問題の所在を明らかにし、解決にむけた思考を鍛えることはできます。政治学には大別して実証的アプローチと規範的アプローチがあります。前者は、現実がどうなっているか、それをデータ分析や歴史研究を通じて明らかにしようとするものです。後者では、どのような目標を追求すべきか、なぜそれがみんなにとって正しいといえるか、といった当為の問題を扱います。そして両方を理解し、組み合わせることが重要となりますが、政治学科では個々の学生が両方について学ぶことができるよう、たくさんの授業を提供しています。
ともに、真剣に考えることの困難とそれ以上の充実感とを味わいましょう。


ようこそ、権力が織りなす世界へ

政治学科 西欧政治思想史 田上雅徳(たのうえまさなる)先生

政治って素敵ですか?

実は、それほど美しい言葉ではないのが「政治」です。日常会話でも、「あいつの言動は『政治』的だ」とは、人を非難する表現です。また、お笑い芸人がTV番組で時の政権を揶揄しようものなら、「『政治』的な発言を控えないと、スポンサーが降りるぞ」との書き込みでネットが炎上します(面白いことに、政権を擁護する言動が「政治的だ」と非難されることは、あまりありません)。
つまり「政治」という日本語には、「その人ひとりの利益や理想のために、もっともらしい理屈を用いて、人びとからの支持を得ようとする腹黒さ」という意味合いがあります。そして、その言葉を冠した学科で勉強しようというわけですから、目をキラキラさせた新入生を前にすると、正直、私は何ともいえない気持ちになります。
にもかかわらず、政治学の魅力をこの頁では訴えなくてはなりません。しかも、この学問で駆使される用語の中でもとりわけ否定的なニュアンスの強い「権力」に引き付けて、政治学のセールスポイント述べようとするのですから、屈折した話になります。

そもそも、多様性を尊ぶのが政治学

さて、権力には否定的なニュアンスがある、と述べました。というのも、権力という強制力も突き詰めれば暴力だからです。けれどもそんな物騒なものを、どうして人間は必要とするのでしょうか。それは、「権力をチラつかせて脅さないと、そして最悪の場合には(最悪の場合、です)権力を実際に行使しないと、どうにもこうにもまとめられない。それほど、人びとが抱いている理想や利害は多種多様なんだ」と、人間が意識したからに違いありません。結論を急ぎますが、その意味では、政治と政治学が存在する世界とは、本冊子が「ススメ」ている人びとや集団の「個性」がバラエティに富むことを大前提にしている世界です。  あるいはグローバルな視点から、あるいは制度に関心をむけつつ、またあるいは哲学的に、権力とそれが織りなす政治が必要とされることの意味を考えてもらいたい。そういう思いを抱いて、私は毎年、必修科目「政治学基礎」の教壇に立ち、皆さんをお迎えしています。


3・4年生の授業 現代東南アジア論

開いた地域としての東南アジアを考える

山本信人(やまもと・のぶと)教授
担当授業:現代東南アジア論


山本信人(やまもと・のぶと)教授

他者理解としての地域研究

地域研究とは他者の生活する特定の地域への理解を深める作為です。理想的には、他者理解のためには言語を修得することから始まり、食生活や文化や慣習、そして政治・社会・経済制度などを学習して、その上で他者の考え方への想像力を磨く必要があります。言うまでもなく一朝一夕では他者理解はできず、じっくりと腰を据えて他者(そして自己)と向き合う必要があります。地域研究を極めるという理想の実現には時間がかかりますが、授業を介して少しでも他者理解の機会を学生諸君に提供したいとぼくは考えています。

東南アジアへの視角

ぼくの担当する科目は現代東南アジア論です。東南アジア地域は11個の国民国家が存在します。しかし東南アジアはその11カ国で閉じているのではなく、他の地域や国家や人との密接な関係性を有する開いた地域です。なかには国民国家への帰属を意識しないで生活している人びともいます。長く劇的な人の流れの歴史をもつ東南アジアは一筋縄では理解できない魅力が満載です。ぼくの講義では、空間的な地域、時間的な地域、そして実態としての東南アジアを複眼的に理解する試みをしています。それを通して、開いた地域としての東南アジアの軌跡と行く末について考える機会としています。

英語を介した東南アジア

少人数の演習形式である特殊研究では、東南アジア地域に関する文献を介して他者理解の仕方を学生諸君とともに模索します。英語文献を主体にし、英語で授業をおこないます。英語で書かれた歴史、政治、社会、文化に関して知識の塊を紐解き批判的に読み込むことで、自分なりの問いと東南アジア理解が形成されます。英語で考えることは日本(語)的な理解から自らを解放する作業でもあります。英語は他者との共通理解への道を切り開き自らを相対化するツールです。英語を介した東南アジア地域研究はそうした可能性を秘める作業であると考えています。


3・4年生の授業 公共経済論

国を動かす財政を理論で分析

麻生良文(あそう・よしぶみ)教授
担当授業:公共経済論 I ・II


麻生良文(あそう・よしぶみ)教授

政府部門の経済分析

この講義では、政府活動の根拠や、租税や公債による財源調達が民間の活動にどのような影響を与えるかを論じます。
国防や警察活動等の国の基本的な役割を民間部門に委ねられないのは当たり前ですが、公的な年金・医療保険は民間の保険で代替できないのでしょうか。太陽光・風力発電に補助金をつけて優遇することは正当化されるのでしょうか。電気・ガスの供給を地域独占会社に任せるのではなく、この分野にも競争を導入させるべきなのでしょうか。あるいは、そもそも、民間でできることは民間に任せるべきなのでしょうか。こうした問題は、そこに「市場の失敗」があるかないかに還元して考えることができます。

望ましい政策を考えるための理論

さて、政府活動の財源は租税や公債発行によって支えられています。こうした政府の財源調達活動も民間の活動に影響を与えます。例えば、所得税は個人の労働意欲や雇用に影響を与えると考えられます。消費税の増税前に、住宅や自動車等の駆け込み需要が発生したのも記憶に新しいと思います。もちろん、租税が経済活動に与える影響だけを議論していても不十分です。望ましい税制とは、単に経済活動に与える悪影響を最小化するだけではなく、同時に公平面にも配慮する必要があるからです。
また、現在の日本では、財政赤字の問題も深刻です。今後、日本の人口は急速に高齢化していくため、年金・医療等の社会保障支出の大幅な増加が見込まれています。このため、日本の財政赤字は、表面的な数字以上の深刻さを抱えています。
望ましい政策のあり方を考えるためには、単に事実の経過だけ追っていても十分ではありません。理論を学ぶ必要があるのです。


3・4年生の授業 現代政治理論

新しい方法で民主主義を分析する

河野武司(こうの・たけし)教授
担当授業:現代政治理論Ⅰ・Ⅱ


河野武司(こうの・たけし)教授

市民が真の意味で主役となるには

現代の社会において格差の拡大を肯定する人はいないでしょう。それにも拘わらず、構造改革の名の下に進められてきた政府の諸政策が、格差の拡大をもたらしているのが現状です。弱肉強食というジャングルの論理が支配する市場中心の自由競争社会に国民を放り出すことが果たして政治の役割でしょうか。
このような問題意識から本講義ではまず春学期において、現代の代議制デモクラシーに関する様々な理論について紹介し、そこで議論されている機能不全とそれが起こる理由を検討しています。基本的には、合理的選択アプローチという従来の政治学にはない新しい方法から、民主主義を分析した諸理論を取り上げています。
秋学期においては、春学期で検討した代議制デモクラシーの機能不全を、いかに解消しうるかについての制度的方策と人的要素について検討しています。エリートによって主導される民主主義ではなく、市民が真の意味で主役となれる新しい民主主義の形態・制度について考察するわけです。具体的には、インターネットという新しい情報メディアを利用した市民によるより直接的な政治参加の方法と、競争社会ではない共生社会に相応しいより利他的な個人をいかに育成できるかを検討しようというものです。

講義の進め方は講述と板書

私は今日はやりのパワーポイントを使った授業は行いません。講述と板書という伝統的な方法の授業です。それは学生諸君にノートを的確にとることによって、自分だけの教科書を作って欲しいという願いからです。自分が作った自分だけの教科書を、簡単に捨てる人はいないでしょう。講義の概要を記したレジュメなど、人から与えられたものは容易に捨て去ることが可能です。しかしそれは同時に勉強したことを捨てているのと同じことです。さらにはより理解を促進するために、一方的にこちらが話をするだけではなく、必要に応じて受講生に対して質問を投げかけることで、対話を心がけています。
学生の皆さんは、「良き師、良き友、良き本」という三つの出会いを通して、大学という知的ワンダーランドを満喫して下さい。


3,4年生の授業 アメリカ政治

民主主義からの後退?

政治学科 教授 岡山裕(おかやまひろし)先生

アメリカの2020年大統領選挙で、再選をめざすトランプ大統領は人種や党派間の対立をあおり、選挙の正当性を認めようとしませんでした。年明けにはトランプ支持派が議会を襲撃する事件まで起きています。

しかしアメリカでは、トランプの登場以前から、人種や階層等の社会的な亀裂と二大政党間の対立が重なる形で、対立党派の人々を嫌悪し危険視する傾向が強まっていました。各州では、敵対する党派を打ち負かすべく、とくに共和党が選挙区の区割りや投票の手続きを操作するなど、民主的な手続きを通じて民主主義の制度的な土台を掘り崩しかねない動きも生じています。

アメリカに限らず、自分達だけが正しいという独善的な見方から反対勢力を敵視する姿勢が、ポピュリズムなどの形で他の国々でも目につくようになっています。政治体制、つまり国全体の政治の大枠に関する研究では従来、一度民主主義が安定すれば、以後体制は変わらないと考えがちで、どうやって独裁国家などを民主政という「ゴール」に導くかに関心が集まっていました。それが、先進国でも民主主義からの「後退」が懸念され、競争的な選挙といった民主的な要素を含む非民主主義体制の存在も注目されるようになっています。

このように、政治学では研究対象となる事象の深い理解と、計量的な分析も用いて幅広い現象を一般的・抽象的に説明しようとする姿勢の両方が求められます。私も、一般的な理論を踏まえつつ、アメリカで二大政党がイデオロギー的に分極化していく過程を歴史的に検討して、民主主義がどのように分断と対決の道にはまり込んできたのかを解明しようとしています。問いの探求には文理の垣根も越える政治学の貪欲な姿勢は、福澤諭吉先生のいう「実学〈サイヤンス〉」の精神に通じるものといえます。学生諸君にも、様々な考え方に触れるなかで「知的な欲張り」になってもらうよう心がけています。


3,4年生の授業 外交史

リベラルな国際秩序の終わり?

政治学科 教授 細谷雄一(ほそや ゆういち)先生

今、国際秩序が大きく動揺しています。中国やロシアのような権威主義体制が影響力を拡大していることや、アメリカのトランプ大統領が多国間国際機関やいくつかの国際協定に敵対的な姿勢を示していることなどが、その原因として指摘されています。それとともに、国際政治学の世界では、リベラルな国際秩序が終わりつつあるという議論が頻繁に見られるようになりました。それは、われわれにとっても無関係ではいられない、重大な問題です。
20世紀に2度の世界大戦を経験した世界は、国際政治が暴力や無秩序に支配されることがないように、国際法や国際組織、さらには民主主義や人権といった規範によって支えられるようなリベラルな国際秩序を確立してきました。日本国憲法に埋め込まれた平和主義も、そのような国際秩序と不可分の一体となっています。われわれが国際政治を考える際にも、世界の動きと日本の動きを結びつけて考えることが重要です。
私はこれまで、世界史と日本史、さらには現代と過去を結びつけて思考する必要を強調してきました。慶應義塾は蘭学塾であった頃から「世界のなかの日本」を強く認識していました。福澤諭吉先生も『西洋事情』という書物などを通じて、世界の動き、とりわけ西洋列強の動きに目を向けていました。伝統を自覚しながら、最先端の革新的な知識を導入することこそが、未来を先導する若者には必要なのです。