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法律学は形式的な文言をひたすら頭に叩き込むだけの学問でしょうか?
政治学は料亭で国会議員が行う取引を観察するだけの学問でしょうか?
これまでに作られた知の垣根は明日も本当に有効なのでしょうか?
2019年の今、世界・日本は激動しています。
少子高齢化、世界のパワーバランス、「隣に住む」外国人、環境問題、憲法改正、社会保障制度、フェイクニュース等をめぐる多様な課題に合わせ、法律と政治にかかわる知見は日々刷新を迫られています。また、刷新には、それを担保する強靱な教養が必要です。
慶應義塾大学法学部は1890年に創設されました。
以来130年、教員と学生が様々な視点や考えを磨き合う伝統を積み重ねつつ、変化する時代の最先端を照らす光を投じています。

AIと法

法律学科 教授 大屋雄裕(おおや たけひろ)先生

たとえば完全な自動運転車が事故を起こしたとして、被害者に対する損害賠償責任は誰が負うべきなのでしょうか。データを誤って学習したことが原因だったとして、車自体やそこに搭載されたAIを処罰することに意味はあるでしょうか。レントゲン写真を分析するAIが癌の影を見落とし、担当医師もその見落としを見落としたという場合はどうでしょうか。
これらはいずれも、いまはまだないが近いうちに実現するだろう技術に関する問題です。現時点の刑法や民法といった実定法をうまく適用することができるのか、適用できたとしてその結果が望ましいものになり我々も納得するものになるのかもよくわかりません。それでも技術進化の方向性を想像し、確実にくるだろう「その日」に備えて適切な結果を導くための法制度をデザインしておくことが社会的に求められているのです。私も、多くのAI研究者や技術者とともにその作業をお手伝いしています。
「世界が根本的に変わる」「これまでの法制度は無用になる」といった声は常に聞かれます。しかし社会や技術の進化に対応して自らの姿を変え続けてきたのが、共和政ローマで作られた十二表法以来、2500年に及ぶ法の歴史です。そこで生み出されてきた理念や概念は、これからの世界を想像し、それにふさわしい制度を創造するためにも役立つでしょう。過去に学び、未来を創り出すことが求められているのです。

学生の声

法律学科3年 Sさん 恵泉女学園高等学校 出身

自由ってなんだろう。繰り返し問われてきたこの問に、法律学科の友人たちは「責任」という言葉を用いて答えます。多くの法律科目では、自分で自由に決めて行動した結果に対して“どのように”責任を取るべきかを考えている一方、“そもそも”自由とはなにか、という視点から学べるのが、法理学の面白さであると思います。たとえるなら、他科目の学びで法律の頭と体の構造を、法理学では法律の心を知るような感覚です。これからの未来、AIやBig Dataの活用など第四次産業革命ともいわれる技術発達とそこから生まれる生活の変化に伴って、法律も変化していくといわれています。いま存在しているものが変わってしまう可能性があるからこそ、法律科目を学ぶ中で何気なく使っている自由や平等、権利という言葉がそもそも何を意味するのか、問い続けていきたいと思うと同時に、法律の文章に隠された先人たちの思いを知り、今と未来を見つめる楽しさを感じています。

リベラルな国際秩序の終わり?

政治学科 教授 細谷雄一(ほそや ゆういち)先生

今、国際秩序が大きく動揺しています。中国やロシアのような権威主義体制が影響力を拡大していることや、アメリカのトランプ大統領が多国間国際機関やいくつかの国際協定に敵対的な姿勢を示していることなどが、その原因として指摘されています。それとともに、国際政治学の世界では、リベラルな国際秩序が終わりつつあるという議論が頻繁に見られるようになりました。それは、われわれにとっても無関係ではいられない、重大な問題です。
20世紀に2度の世界大戦を経験した世界は、国際政治が暴力や無秩序に支配されることがないように、国際法や国際組織、さらには民主主義や人権といった規範によって支えられるようなリベラルな国際秩序を確立してきました。日本国憲法に埋め込まれた平和主義も、そのような国際秩序と不可分の一体となっています。われわれが国際政治を考える際にも、世界の動きと日本の動きを結びつけて考えることが重要です。
私はこれまで、世界史と日本史、さらには現代と過去を結びつけて思考する必要を強調してきました。慶應義塾は蘭学塾であった頃から「世界のなかの日本」を強く認識していました。福澤諭吉先生も『西洋事情』という書物などを通じて、世界の動き、とりわけ西洋列強の動きに目を向けていました。伝統を自覚しながら、最先端の革新的な知識を導入することこそが、未来を先導する若者には必要なのです。

学生の声

政治学科3年 Bさん 早稲田高等学校 出身

国際政治史を紐解くことは、畢竟(ひっきょう)「いかにして平和を?」という難問へ通じているように思います。 細谷雄一研究会でも日々この問題をめぐって熱い議論がなされますが、なかなか決着はつきません。有史以来、戦争や紛争は絶えることなく、現在も世界各地で続いているのです。
しかし、国際政治史は決して「悲史」なのではありません。むしろそこには、最も劇的で緊張感に満ちた人間相互の営みが刻まれているといえるでしょう。たとえば、ビスマルクやチャーチルなど先人たちは、幾多の困難にもめげず、故国の存立と平和のためひたむきな情熱を傾けました。そして、そのような優れた外交指導者に共通するのが、人間性一般に対する並外れた洞察力にほかなりません。
世界の「分断」が懸念される今日、「他者」への想像力がますます求められているように感じます。まさに、いまこそ私たちは歴史に目を向け、他者・他国とどのような関係を取り結ぶべきか、真摯に考えていく必要があろうと思うのです。

「ピョンヤノロジー」で北朝鮮を読み解く

共通科目 准教授 礒﨑敦仁(いそざき あつひと)先生

慶應法学部の東アジア研究には伝統があり、多くの研究者を輩出してきました。私はその傍流で、北朝鮮政治を専門にしています。
入手可能な情報に制限がある国家を研究対象にするには、間接的な手掛かりを相互補完的に活用することが必要になります。フィールドワークは不可能ではないものの、自由に歩き回ったりインタビューしたりすることはできません。韓国に亡命した脱北者の話はバイアスがかかっていることもあり、聴取は慎重に進めます。関係国の資料を収集するためにソウル、北京、ワシントン、モスクワなどに足を延ばすこともしばしばです。
しかし、最も頼りになるのは、北朝鮮自身が発信する公開情報の分析だと言えば意外に思うでしょうか。平壌で発行される新聞の論調はいかなるものか、そこに特定の語彙が何回出現しているか、最高指導者に随行する人物の顔ぶれに変化はないか、などを綿密に読み解いていきます。この手法は、ソ連分析で伝統的に行われてきたクレムリノロジーを文字って「ピョンヤノロジー」などと称すべきものです。限界はあるものの、彼らの論理やビジョンを読み解くには有効です。
福澤諭吉先生は、アジア諸国も近代化して独立を果たすべきだとして、朝鮮半島からの留学生を慶應義塾に招き入れました。明治14年のことです。隣国とは衝突も多いですが、感情論に流されず建設的な議論を進めることが重要です。未来を担う皆さんが良き伝統の継承者となることを切に願います。

実証的に真理を追究する学問として物理を学ぶ

共通科目 教授 下村 裕(しもむら ゆたか)先生

私の専門は物理学です。その中でも力学を用いて身近に観られる不思議な現象を研究しています。
17世紀に活躍したアイザック・ニュートンによって創られた力学は、300年の時を超えた現在でも有効な理論です。しかし、その法則を実際の現象に適用して説明することは簡単でなく、いまだにきちんと説明できない身近な現象が数多くあります。
ゆで卵をテーブルに置いて速く回すと立ち上がる、という運動もそんな未解明の現象でした。私は2001年、この問題についてまさにニュートンが居たケンブリッジの大学で共同研究を行いました。その結果、1872年に発見された運動定数が回転ゆで卵の運動にも近似的に存在することがわかり、立ち上がる理由を説明する論文を学術誌ネイチャーに公表しました。さらに、高速で回転させたゆで卵は立ち上がる途中でひとりでに宙に浮く、という信じがたい未知現象も発見し、理論的に予測した上に実験的にも証明することができました。
福澤諭吉は1882年発刊の時事新報に「物理学之要用」という記事を書きました。その中に「我慶應義塾に於て初学を導くに専ら物理学を以てして、恰も諸課の予備となす」という一節があります。つまり、草創期の慶應義塾では、基本的な「実学」(実証科学)として先ず物理学を学ぶという思想があったのです。現在の法学部ではその伝統を受け継ぎ、実験も行う自然科学の授業を履修することもできますし、自然科学を副専攻として研究することも可能です。私はそれらを通し、考えることの素晴らしさを学生諸君に伝えています。