博士課程院生研究紹介

カール・クラウスとオーストリアの政治思想史・政治文化史
高橋 義彦

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
高橋義彦 「フリッツ・ヴィッテルスと二人の精神的父親――カール・クラウスとジークムント・フロイト」 『法学政治学論究』第99号 2013年12月
高橋義彦 「18・19世紀ドイツの社会経済思想」討論者コメント 社会思想史学会 2013年10月27日

研究成果実績の概要

 本研究は20世紀前半のオーストリアを代表する思想家であるカール・クラウス(1874-1936)を中心に、彼が生きた同時代のオーストリアの政治思想史・政治文化史の内容とその特徴を明らかにすることを目的としたものである。クラウスは自ら編集・発行する個人誌『ファッケル(Die Fackel)』をもとに言論活動を行った人物で、研究は同誌に掲載されたクラウスの論文並びに彼の著作集の検討を軸に行った。
 本研究においてはクラウスの生涯を大きく三つの時期に分け、(一)世紀末、(二)一次大戦期、(三)ファシズム期のそれぞれの時期について検討した。
 まず(一)世紀末の時期に関しては、19世紀末から20世紀初頭の世紀転換期のウィーンでクラウスが参加した論争の中から、特に建築家で著述家のアドルフ・ロースと共闘した「装飾」をめぐる論争、ジークムント・フロイト、フリッツ・ヴィッテルスといった精神分析家との「セクシュアリティ」と「権力」をめぐる論争に着目しそれぞれについて論文を作成した。両論を通じ、従来オーストリアにおける批判的知識人として同列に論じられることの多かったクラウス、ロース、フロイトらの思想上の差異を明らかにした。
 (二)一次大戦期に関しては、クラウスの一次大戦批判を、その「理論」的側面と「政治史」的側面のそれぞれから検討した。まずその「理論」的側面に関しては、彼の一次大戦批判が戦争のどのような部分を問題にしていたのかを、開戦直後の論文と終戦直前の論文から読み解き、彼が一貫して「プレス」批判と「テクノロマン主義」批判を自らの戦争批判の軸に据えていたことを明らかにした。次にその「政治史」的側面に関してであるが、本研究ではクラウスが『ファッケル』で一次大戦中に肯定的に言及した数少ない政治家であるハインリヒ・ラマシュ(1853-1920)の反戦思想との関連に着目した。クラウスの仮借ない戦争批判は従来「左派」的なものと捉えられることが多かったが、保守派の政治家でありハプスブルク帝国最後の首相にもなったラマシュとクラウスの思想的、個人的関係を明らかにすることで、クラウスの反戦思想がオーストリアにおける保守派の反戦思想の系譜に位置づけられることを明らかにした。
 (三)ファシズム期に関しては、クラウスの言論活動に加え、彼に大きな影響を受けた政治哲学者であるエリック・フェーゲリン(1901-1985)の議論も検討対象とした。なぜなら両者はナチスによるオーストリアの合邦には強く反対したものの、オーストリア国内では首相エンゲルベルト・ドルフスによる権威主義体制を支持し、いわゆる「オーストロ・ファシズム」体制の擁護者となった点で、同時代のオーストリアにおける非マルクス主義系の知識人の典型的立場をとったといえるからである。本論では、両者がこのナチスとドルフス体制という「二つのファシズム」に対してなぜ異なった態度をとるに至ったのかを分析した。具体的には、彼らがドルフス体制をナチスという巨悪に対するオーストリア独立の擁護者と見ていたこと、ドイツとは異なるオーストリア独立の意義を説く立場にあったこと、デモクラシーの権利や自由権よりも統治の安定や社会秩序の安定を重視する保守的思考を持っていたことなどにその原因があることを明らかにした。
 本研究期間においては、博士論文提出を目標に、既出論文に対する加筆と修正を行い、まだ未発表だった部分であるクラウスとフロイト、ヴィッテルスに関する論文を執筆、刊行した(その成果が「フリッツ・ヴィッテルスと二人の精神的父親――カール・クラウスとジークムント・フロイト」である)。その結果2013年12月に博士論文『カール・クラウスとその時代――オーストリア政治思想史・政治文化史研究』を提出することができた(同論は現在審査中である)。
 また社会思想史学会のセッション「18・19世紀ドイツの社会経済思想」から依頼を受け、クラウスと同時代のドイツの政治思想家であるフリードリヒ・ナウマンとフーゴー・プロイスに関する発表のそれぞれに対し討論者としてコメントを発表した。
 以上が平成25年度卓越した大学院研究員(非常勤)としての研究成果実績報告である。

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