博士課程院生研究紹介

戦後米国の沖縄基地政策、1945〜1952 ―「二重の封じ込め」と沖縄基地の役割―
池宮城 陽子

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
池宮城陽子 「戦後日本の沖縄基地問題の起源―日本の非軍事化と沖縄に対する領土主権の追求」 『法学政治学論究』第97号 2013年6月
池宮城陽子 「対日講和と沖縄に対する領土主権問題」 日本国際政治学会2013年度研究大会 日本外交史Ⅲ 2013年10月27日
池宮城陽子 「沖縄に対する領土主権問題の変質」 『法学政治学論究』第100号 2014年3月

研究成果実績の概要

 本研究では、1945年から1952年における国際構造の変容と沖縄米軍基地の役割の変化に伴い、米国の沖縄基地政策がどのように変遷したのかを分析した。これまでの研究から、以下の三点が明らかになった。
 第一に、米国の対日政策の転換に伴う沖縄基地の役割の変化である。第二次大戦後、米ソ協調関係を維持する中で、日本の非軍事化を対日方針の基軸としていた米国は、日本の非武装化を監視する「対日封じ込め」の拠点として沖縄基地を位置づけていた。しかし、1947年半ばには米ソ協調関係が破綻、さらに1950年6月に朝鮮戦争が勃発し、これに中国が介入したことで、米国対ソ連・中国という冷戦対立構造が出来上がった。これに伴い、米国は沖縄基地を通して「対ソ・中封じ込め」を行うことで、日本ひいては極東の安全を確保することを追求するようになった。冷戦を契機に、沖縄基地は「対日封じ込め」と「対ソ・中封じ込め」という二重の役割を担うようになったのである。ただし米国は、対日方針を非軍事化から再軍備の要求へと転換させる中で、沖縄基地が担う「対日封じ込め」の役割を再定義していた。日本の非武装化を監視するための拠点という、日本に対する懲罰的な意味合いではなく、再軍備を進める日本の中立化の可能性への担保として、沖縄基地の役割を意義付けたのである。対日講和に至る過程において、沖縄基地が担う「対日封じ込め」の役割の内実は、米国の対日政策の転換に伴い大きく変化したのであった。
 第二に、沖縄基地の役割の変化と、沖縄に対する領土主権問題の連関である。沖縄基地を、日本の非武装化を監視するための重要拠点と位置付けていた終戦直後の米国は、講和に際して、沖縄に対する領土主権を日本から剥奪するべきだと考えていた。しかしながら、朝鮮戦争の勃発を契機に沖縄基地が担う「対日封じ込め」の役割を再定義したことで、米国は、沖縄に対する領土主権の帰属のあり方についても再検討するようになった。沖縄基地が日本に対する懲罰的役割を担わなくなった以上、沖縄を無条件に排他的に管理する必要が失われたからである。日本国内からの強い反発を受けてまで沖縄に対する領土主権を日本から剥奪する必要性が低下したことで、これを日本に残す道を模索し始めたのだった。
 第三に、沖縄に対する領土主権を日本に残す条件としての、日本の再軍備である。とりわけ朝鮮戦争への中国義勇軍の介入以降、米国は、日本のコミットメントの状況に依って、東アジアにおける自らの戦略、ひいては沖縄政策を策定する必要があると考えた。当時の米国にとって、日本の再軍備こそが、西側世界へのコミットメントの証であった。そのため、1951年1月末から行われた日米会談上、それまで頑なに再軍備を拒否する構えを見せていた吉田首相から、講和に際して小規模ながら再軍備に着手するとの確約を得られたことは、沖縄に対する領土主権を日本に残す米国の方針を決定的なものとした。その結果、米国は、日本が将来的に沖縄に対する領土主権を完全に回復する余地を残すべく、沖縄に対する日本の「潜在主権」を容認するに至るのであった。
 このことは、論理的には、日本が本格的な再軍備を行うことで、沖縄米軍基地の撤退・大幅な縮小が行われ、沖縄に対する日本の領土主権が回復される可能性があったことを意味する。しかしながら、講和後の日本は軽武装を維持し、自らの安全保障を米国に委ねる政策を堅持した。日本、そして極東の安全保障のための拠点として、沖縄基地は引き続き重要な役割を果たすこととなるのである。
 以上のような、講和時の想定と、講和後の現実とのギャップを踏まえると、日本の本格的再軍備の実現可能性が失われていく過程と、沖縄米軍基地の恒久化の過程との間に関連性を見出すことが出来る。本研究で明らかとなった、沖縄をめぐる問題と日本の再軍備問題との連関が、沖縄米軍基地の恒久化にいかなる影響を与えたのかを考察し、沖縄基地問題の構図の形成過程を実証することを今後の研究課題としたい。

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