博士課程院生研究紹介

現代イギリス政治思想史におけるシティズンシップ論
梅澤 佑介

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
梅澤佑介 「「三〇年代」におけるハロルド・ラスキの「思慮なき服従」論の展開――マルクス主義の受容をめぐって」 『法学政治学論究』第100号 2014年3月刊行予定
梅澤佑介 「W.J. Mander, British Idealism (Oxford, Oxford University Press, 2011)を読む」 『政治思想学会会報』第38号 2014年7月刊行予定

研究成果実績の概要

 現代は「デモクラシー」が勝利を収めた時代である。その証拠に、いかに圧政的な国家も「デモクラシー」という言葉によって自らの政体を正当化しようと努める。われわれにとっても身近な「北朝鮮」の正式名称を思い浮かべることが、そのような状況を理解する近道となるだろう。しかし他方で、北朝鮮とは比べようもないくらいに民主主義的な制度の整備が進んだ我が国においてもデモクラシーの理念が十全に実現されているとは言い難い。デモクラシーの理念は「人民による統治」として理解されうる。しかしその統治の手段として人民に与えられている選挙権は一体どの程度行使されていると言えるだろうか。投票率の低さに代表される市民の「政治的無関心」という現象は、深刻な問題として現代の政治学者の頭を悩ませている。
 20世紀前半のイギリスにもこのような問題に取り組んだ、時代を代表する政治思想家がいた。この2年間、私が研究対象としてきたハロルド・ラスキである。しかし現代においては、ラスキは言ってみれば「忘れられた思想家」である。その後期にマルクス主義を受容してからも人間理性に対する信念から暴力革命を批判しつづけた彼は生前から没後に至るまで、冷戦という状況下で、西側からはアカの手先として糾弾され、東側からはブルジョワの手先と蔑まれてきた。その結果、現在残った彼に関する政治思想研究者の一般的な評価は、初期の主権概念批判に関する三部作は辛うじて言及に値するものの、それ以外は時代に制約された政治的パンフレットであり、ソ連が崩壊し共産主義の失敗が明らかになった今、改めて取り上げるほどのものではないというような趣旨のものである。
 しかしながらラスキの原点を紐解いてみると、従来のラスキ研究は、後期のマルクス主義時代はおろか、前期の多元的国家論さえも十分に論じてこなかったことが明らかになった。というのは、前期の彼が標榜する「多元的国家論」という政治的立場は、彼の究極目的たる「個人の自由の実現」との関係においてはほとんど論じられてこなかったからである。そこで私は昨年度に執筆した論文「思慮なき服従への警鐘」において、この二つの要素の連関の探究を通じて、ラスキの初期と中期(これらを合わせたものを「前期」とする)の理論的一貫性を示した。なぜなら、ラスキの政治思想の変遷を指摘し、各時期の間の矛盾を批判するというのが従来のラスキ研究における常套手段であり、そしてそれがラスキに関する誤解の原因ともなってきたからである。
 彼らはラスキの政治思想における「法的(legal)」と「道徳的(moral)」という重要なカテゴリー的区別を見逃した結果、ラスキはその初期においては教会や労働組合のような集団を国家と同一視しそれらを重視する「多元的国家論」の立場をとっていたのにもかかわらず、中期になると国家を他の集団と区別し、国家に優越的な地位を与えたと結論づけた。しかし上述のラスキの複眼的な視点に着目すれば、そのような「変遷」が理論上の変化ではなく単なる強調点の変化であることが明らかになる。つまり、初期においても中期においても、ラスキにとって国家は「法的には」最終決定権たる「主権」が与えられており、さらに現実に自らの意志を貫徹するための強制手段を有する点で他の集団に優越している。しかし「道徳的には」その成員の忠誠を自ら獲得しなければならないという点で、他の集団と同じ条件に立っているのである。
 初期の彼は「道徳的」観点からの主権概念批判に重きを置いており、中期の代表的著作たる『政治学大綱』において彼は国家が担うべき積極的役割を初めて論じるにいたったため、自ずと国家「特有の」側面が前面に出てこざるをえなかった。ただし彼が初期から中期まで一貫して重視したのは「道徳的」観点である。なぜなら「法的」観点における国家、すなわち「主権」を絶対視した結果が市民の国家に対する「思慮なき服従」であり、ラスキはそのようなデモクラシーの理念を形骸化させている認識枠組みを相対化しようと試みたからである。この「道徳的」観点から国家を見る立場こそ「多元的国家論」であった。「多元的国家論」とはデモクラシーに魂を吹き込み、「個人の自由の実現」を可能にするための、市民が持つべき理論的立場であったのだ。
 ではこの盲目的服従はいかにして乗り越えうるのか。ラスキの提出した解決策は「権力の広範な配分」であった。彼は権力を分散させることによって市民の主体性が涵養されると考えた。しかし1930年代になると、この「権力の広範な配分」を妨げる要因が「資本主義」という社会構造にあることが明らかになった。その分析のために導入した手法が、「マルクス主義」であった。私が今年度執筆した論文「「三〇年代」におけるハロルド・ラスキの「思慮なき服従」論の展開」はこの時期のラスキの政治思想を論じたものである。
 ラスキはマルクス主義的分析手法によって、権力の配分が階級支配によって妨げられていることを明らかにした。しかしながら従来の解釈とは異なり、彼はマルクスの理論のすべてを受け入れたわけではなかった。まずもって彼は唯物史観を拒絶した。というのは、大衆には「思慮なき服従」の傾向があり、経済的自由主義のイデオロギーを自発的に支持するからである。このような大衆の意識を変革するためには階級構造自体を廃棄しなければならない。この意味で、ラスキの「多元的国家論」はマルクス主義の受容によって、「廃棄」されたのではなくむしろ「補強」されたのである。

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