博士課程院生研究紹介

冷戦期日韓関係の形成(仮) ―植民地時代に対する認識と対共産圏政策をめぐる対立の中で、調和の模索―
尹 錫貞

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
尹 錫貞 「日韓国交正常化過程における『地位』と『役割』の調整過程について」 東京大学現代韓国研究センター主催「2013年度大学院生ワークショップ」 2014年度1月24日-25日

研究成果実績の概要

 冷戦期の日韓関係を取り扱う研究は、両国関係を妨げる不信と軋轢について、植民地統治に対する解釈の相違による感情の衝突及び請求権の金額をめぐる条件闘争であると論じている。要するに、先行研究によると、日韓の不信と対立は植民地時代の歴史に起因しており、その性格は、「過去志向的」な性格をもっている。このような先行研究を踏まえつつも、現在行っている研究の全体的な問題意識及び分析枠組みは次のようである。日本は植民地の統治が非難を受けるに値しないと認識した。それに対し、韓国は日本が相変わらず自国の主権へ攻撃的意図を持っていると警戒し、経済的関係を結ぶのを懸念した。また、日本は反共論理から距離を置きつつ、北朝鮮を初めとする共産圏諸国との貿易や人的交流を許容しており、韓国は、そのような日本の姿勢が自国の外交的孤立をもたらし、安全を脅かすのではないかと警戒した。そのような韓国の警戒と反発に対し、日本は韓国に対する不信を強めた。つまり、日韓の不信と対立は、相手国の行動を見て連想される「将来の可能性」に起因するのである。このように、日韓の不信は、相手の実態ではなく、自らの悲観的予測に基づくものであり、対立は主権と安全の保障をめぐる争いの側面を持っているのである。研究の対象時期は、1950年代から60年代までである。
 上述の問題意識を踏まえて研究員の任用期間中に行った研究は、日韓国交正常化の過程において、相手への過剰な依存及びコミットメントの可能性に対する日米韓の動きであった。その概要は以下の通りである。
 1965年6月22日、日韓基本条約が調印された。12月28日に批准書が交換され、諸協定が正式に発足した。14年間の難交渉と対立を経て、日韓の間で国交が成立したのである。日韓国交の樹立は、東アジア西側陣営における日米韓三国間の国際システムの誕生を意味していた。
 日韓会談の最終段階に当たる61年から65年を取り扱う研究は、次の二つに分けられる。第一二、 交渉史中心の日韓会談研究である。朴正熙政権は、日本から資本と技術を導入することによって経済を再建し、北朝鮮との体制競争に拍車をかけるために、国交正常化を推進した。そして、日本は経済的な利益と共に、朝鮮半島の共産化を防ぐとの反共安保の観点から、韓国との国交正常化に取り組んだと論じる。第二に、アメリカも含めた国際政治の観点から日韓国交正常化を捉える研究である。この研究は、アメリカは、中国の核実験、ベトナム戦争などの東アジア情勢の悪化を背景に、日韓の政治、経済関係の回復を促し、反共陣営の強化を図ったと分析している。観点の差はあるものの、いずれも 日韓国交正常化の成立を「反共と経済の論理」で説明している。
 しかし、はたして国交正常化過程において、日韓の将来を規定する路線として取り上げられたのは、「反共と経済協力の論理」だけであったのか。そうであれば、韓国が日本との国交を開き、経済協力を試みながらも、それが将来において、日本による経済的侵略をもたらし、アメリカによる対韓軍事、経済支援の責任が日本へ転嫁される可能性を懸念したこと、また、日本は自国が対韓国支援の第一の責任をとり、将来において、その支援の役割が軍事分野にまで拡大するのではないかと警戒していたことはどのように理解されるべきなのか。つまり、先行研究は、将来の日韓関係を規定する路線として「反共と経済協力の論理」が強く働きながらも、それに付きまとう形で生じる国際政治的の可能性について、日米韓の外交当局者がいかなる議論をしたのかについて、分析していないのである。このような問題意識を踏まえて、研究員の期間中には上述の可能性に対し、日本と韓国は自国が受け入れられる地位と役割を調整し、共通理解の基盤を深めることができたと議論をまとめた。このような過程を通じて、日韓国交正常化のプロセスに対する理解の幅を広げることが期待できると共に、全体の問題意識を見直すことができたと評価している。

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