博士課程院生研究紹介

刑法における「傷害」概念について ―人の精神との関係を中心に―
薮中 悠

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
薮中 悠 「ドイツ刑法における傷害概念と精神的障害」 『法学政治学論究』 平成25年12月15日

研究成果実績の概要

1 本研究の意義と目的
 人の精神的機能が傷害罪・各種致傷罪の保護法益であるのか、あるいは、精神的障害が(いかなる範囲で)傷害概念に包含されるのかという問題については、これまでも体系書等において記述が見られなかったわけではない。
 しかし、刑事裁判において実際に、被害者が発症した外傷後ストレス障害(Posttraumtic Stress Disoder, PTSD)等の精神的障害が、傷害罪・各種致傷罪にいう「傷害」に該当するのかが争われた事案が公刊物等で多くみられるようになったのは、比較的最近である(最決平成24年7月24日刑集66巻8号709頁等)。このため、精神的障害の傷害該当性の問題に関する詳しい議論はそれほど多いとはいえない状況にある一方で、刑事裁判では、今後も、精神的障害を発症したことを理由とする傷害罪・各種致傷罪の成立が争われることは、少なくないと予想される。
 本研究は、このような状況等に鑑み、精神的障害の傷害該当性に関して、比較法的検討及び沿革的・系譜的検討を行い、その成果に基づいて問題解決の基本的な方向性を示すことを目的としている。

2 本研究における本稿の位置付け
 これまでに、比較法的検討としては、精神的障害の傷害概念該当性を認める見解が判例・通説であるオーストリア刑法における議論について、分析・検討を行った(法学政治学論究第97号93頁以下)。また、沿革的・系譜的検討としては、現行刑法(明治40年法律第45号)第204条(傷害罪)の立法趣旨について、その前身である旧刑法(明治13年太政官布告第36号)の「殴打創傷ノ罪」の立法過程における議論等を参照して考察した(法学政治学論究第98号37頁以下)。
 本稿は、ドイツ刑法における議論を比較法的素材として、引き続き、精神的障害の傷害該当性について検討したものである。ドイツ刑法に注目したのは、同国では、純粋な精神的障害は傷害概念に含まれないとする見解が判例及び通説を形成していることによる。これは、日本及びオーストリアでは精神的障害についても傷害概念に含まれるとする見解が判例・通説であるのと対照的であり、ドイツの判例及び通説について、論拠や主張内容、反対説との結論における具体的な相違点等を検討することを通じて、オーストリア刑法とドイツ刑法という基本的発想を異にする比較法的知見の獲得が期待されたためである。この意味で、本稿は、上記の2つの拙稿と同様、日本刑法における傷害概念と精神的障害について考察するための予備的考察を行うものとして位置付けられる。

3 本稿の構成と得られた内容
 本稿は、「第1章 はじめに」、「第2章 ドイツ刑法における傷害罪関連規定と傷害概念の基本的内容」、「第3章 ドイツ刑法における精神的障害に関する議論」、「第4章 若干の検討」、「第5章 おわりに」の5章から成っている。
 このうち、第3章及び第4章が、精神的障害の傷害概念該当性に関する内容である。
 まず、第3章では、ドイツにおける判例・通説と反対説の主張内容等を確認・整理することを通じて、①ドイツの判例・通説は、病理学的・客観的・身体的な傷害概念(疾病概念)を採用していること、②反対説は、精神的作用・障害を傷害概念に含めるが、無制限に含めるわけではなく、疾病相当であることを要求していること、③②のような反対説の主張内容は、オーストリアの判例・通説と類似するものと評価できること、などを指摘した。
 次に、第4章では、判例・通説の論拠や、判例・通説と反対説との間で具体的な問題解決にあたりどのような差異が生じるのか等について検討した。
 判例・通説の論拠に関しては、①「身体傷害」が「健康侵害」の上位概念として措定されていることや②ドイツにおける傷害概念の歴史的・沿革的理解などが論拠として考えられていることを指摘するとともに、本質的論拠と考えられている②について、ローマ法以来の概念形成について言及した記述を紹介している。
 次に、判例・通説と反対説との間の結論的な差異に関しては、ドイツのおける議論でも用いられている、いわゆるノイローゼと(一時的な)恐怖感・パニック状態を具体例として検討した。しかし、検討の結果、どちらの例についても、判例・通説と反対説とで、結論的な差が理論的に当然に生じるというものではないと結論付けている。
 また、近時、問題となっているPTSDについては身体的症状と思われる症状も見られるため、その発症を理由とする傷害罪・各種致傷罪の成立を認める場合の傷害罪等の成立範囲の拡張可能性については、ドイツの判例・通説の見解によったとしても検討が不要となるわけではないのではないかと問題を提起した。

4 今後の課題
 なお、今後については、以下の2点が主な課題となる。
 1点目は、現行刑法の成立後の日本における議論の経過及び現状の分析・検討を行うことである。
 そして、その結果を含めて、これまでの研究成果を踏まえて、日本刑法における傷害概念と精神的障害の問題について、基本的な方向性及び最終的な結論(私見)を提示することが、2点目の課題である。

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