博士課程院生研究紹介

近代日本の「革新派」から見る昭和戦前期の諸相
玉木 寛輝

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
玉木 寛輝 「戦後憲法改正論の系譜―矢部貞治の憲法改正論を中心に―」 『法学政治学論究』(慶応義塾大学大学院法学研究科内『法学政治学論究』刊行会) 2013年、6月
玉木 寛輝 「在郷軍人の統制からみる戦時日本の相克」 日本法政学会 2014年、6月

研究成果実績の概要

 私の研究は、これまで「ファシズムの時代」とされてきた近代日本における昭和10年代後半から敗戦までの時代が、「デモクラシーの時代」とされた大正期との連続性を持っていることを明らかにするものである。
 大正期には政治面で普通選挙や政党政治が実現するなど国民の政治参加が進んだ。しかし昭和期に入ると、経済面では恐慌が相次ぎ「経済的危機」が喧伝されるようになる。大正期に社会主義思想を含め「デモクラシー」の影響を受けた知識人や官僚、政治家はその克服にあたり、より「主体的」に政治的参画を果たした国民から構成された国家による経済的な統制が必要であると考えた。そしてそのある種の「デモクラティック」な政治を実現するには、帝国憲法を含む明治以来確立された法制度の下では限界があり、帝国憲法を含む法制度をより統制的に「革新」する必要があるとして、昭和戦前期には国家統制を求める勢力となっていくのである。このように、これまで国家の抑圧としてとらえられてきた「ファシズム的」な統制の一面は、大正期の「デモクラシー」の思想を引き継いだものだったである。また、これまで昭和戦前期の政治は、帝国憲法を含む明治以来の法制度がもたらした必然の結果であるとされてきたが、実は昭和戦前期はラディカルである種の「デモクラティック」な観点から帝国憲法を含む法制度を「革新」せんとした時代であったことも指摘できよう。
 他方で昭和戦前期の国家統制の一面はまた、上記のラディカルな「革新」から明治以来の穏健な政治秩序を維持せんとする一面を持っていたことも指摘し、昭和10年代後半から敗戦までにかけての政治体制の複雑な性格をも明らかにしたい。
 『戦後憲法改正論の系譜―矢部貞治の憲法改正論を中心に―』は、戦後保守派の重鎮的存在とされる中曽根康弘らに影響を与えた矢部貞治の戦後の日本国憲法改正論が、大正期の「革新」的な思想に端を発していたことを分析したものである。矢部貞治は大正期に流行した社会主義的な観点から、戦前の諸機関の分立を規定した帝国憲法とその運用の下では「全国民」に「デモクラシー」は実現できないと考え、政府が強力な執行権を行使することでそれを実現しようと考えた。昭和10年代後半以降、矢部は近衛文麿などのブレーンとして活躍し、強力な政治体制を実現すべく設けられた大政翼賛会の構想に影響を及ぼす中で、帝国憲法を権力分立的に運用するのではなく、大権事項などを活用することで一元的な憲法の運用を行うという憲法の「革新」を提唱した。矢部は戦後日本国憲法について改憲を主張したが、その論理は日本国憲法が戦前の帝国憲法と同様に権力分立的であり、「全国民」に「デモクラシー」を実現するには緊急権規定など強力な執行権を規定すべきだとするものであった。すなわち、矢部の日本国憲法改正論は、大正期の「デモクラシー」の影響を受けて戦前の帝国憲法を「よりデモクラティック」に「革新」せんとした論理と同様の論理のもとに唱えられていた。大正期に養われた矢部の思想は、大正、昭和戦前期、戦後期を通じて一貫していたのである。以上により、これまで日本国憲法改正=戦前憲法への回帰、とされてきた単純な図式に新たな視座を提供せんと試みた。
 「在郷軍人の統制からみる戦時日本の相克」は、規約・勅令により軍人の政治関与は禁止されていたにもかかわらず、昭和15年ころに設けられた大政翼賛会に政治参画をめざした在郷軍人グループを取り上げたものである。政治参画を目指したグループは2種類あり共同して活動していたが、ともに大正期に「デモクラシー」の思想に影響を受けた人物が中心的な役割を果たしていた。また昭和15年ころの在郷軍人の政治運動が大正期の「デモクラシー」からの連続性を持っていたことを示す一方、これまでそのような在郷軍人グループを「ファシズム」へ利用してきたとされる軍の中央と在郷軍人会本部が在郷軍人の政治不関与という原則にのっとって抑制的な態度を示していたことを明らかにした。
 政治参画運動を進めた信州郷軍同志会の中原謹司は、大正期には大隈伯後援会に参画し「大正デモクラット」として活動しながら、思想的にはマルクス主義にも一部理解を示していた。社会主義的な思想に共鳴を示していた中原は、昭和初期の恐慌以来、兵の出身地としての農村が疲弊していると考え社会主義的な統制経済の主張を行うと共に、党利党略に溺れる既成政党に代わって在郷軍人グループが政治的に主導権を握るべきだと考えたのである。このように政治的な活動を頭におく中原らが既存の在郷軍人会を「革新」し政治運動ができるように活動する一方、陸軍の中央・既存の在郷軍人会の本部は在郷軍人の組織が政治組織である大政翼賛会に参画することを否定し、在郷軍人は翼賛運動に基本的に不関与の態度をとるべきであるとした。また昭和17年の翼賛選挙においても、在郷軍人の組織が啓蒙運動の域を出て選挙運動に出ることを細かい規則を通達することで禁止しようとした。
 以上のようにこれまで「ファシズム」的とされてきた在郷軍人の政治運動が大正期の「デモクラシー」思想の延長線上にあり、他方軍中央、在郷軍人会本部はその「デモクラティック」な活動が「ファシズム」的なものに転化する恐れから抑制を試みた、という複雑な構図を明らかにした。

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