博士課程院生研究紹介

第一次世界大戦後のベルギー保障問題とイギリス外交
大久保 明

研究成果実績の概要

 私の研究テーマは、第一次世界大戦後の欧州における安全保障枠組み構築の試みを追うイギリス外交史研究である。第一次世界大戦後に成立する欧州秩序、「ヴェルサイユ体制」が脆弱化した原因の一つとして、戦勝国間の不協和の問題は古くから指摘されている。しかし、英仏を中心とする欧州主要戦勝国の安全保障協力に着目する実証的研究は比較的少なく、また、1930年代と比べ、1920年代の研究は不足傾向にある。1919年から1925年にかけて成立する安全保障体制は、その後10数年間の欧州国際関係を規定する前提条件となっていく。第二次世界大戦の起源を考察するうえでも、戦間期欧州国際秩序の成立過程を精査する意義は大きいと言える。
 昨年度(2012年度)には、上記の研究テーマに関連する以下の2つの論文を学内紀要に投稿した。(1) 大久保明「イギリス外交とヴェルサイユ条約――条約執行をめぐる英仏対立、1919-1920年」『法学政治学論究』第94号(2012年9月)、(2) 大久保明「イギリス外交と英仏同盟交渉の破綻、1919-1922年」『法学政治学論究』第96号(2013年3月)。
 本年度(2013年度)は、「イギリス外交とロカルノ条約の起源――第二次ボールドウィン内閣による西欧安全保障協定案の採用、1924年11月-1925年3月」と題する論文を執筆し、2013年秋に査読付き学術誌『国際政治』に投稿した。査読結果は「C」判定(大幅修正のうえで再投稿)であり、現在再投稿に向けて修正作業を進めている。
 また、2014年1月31日に、学内の法学研究科第51回合同論文指導研究発表会にて、「第一次世界大戦後のベルギーの安全保障に関するイギリスの政策、1919-1925年」と題する研究報告を行った。この報告は、「卓越した大学院研究員」に採択された研究テーマに最も深く関係するため、以下にその要旨と得られた結論を詳述する。
 ベルギーを含む英仏海峡沿いの地域は、英本土の安全保障にとりきわめて重要な領域だと、何世紀にもわたり歴代のイギリス政府は捉えてきた。欧州大陸への不干渉政策が総じて推進された19世紀においても、イギリス政府は低地諸国への特別な関心を維持した。ところが、第一次世界大戦が終わると、イギリス政府は対外コミットメントの縮小を志向し、ベルギーに新たな保障を与えることを躊躇する。英・仏・白政府は、1914年8月のドイツの行動の結果、1839年条約に基づく安全保障体制は崩壊したとの共通認識のもと、パリ講和会議以降、同条約の修正に関する議論を開始する。しかし、これが難航した。1919年秋から1920年夏にかけ、英仏によるベルギー保障協定案が浮上したが、イギリスは同案を拒絶し、仏白二国のみで軍事協定が結ばれることとなった。さらに、1922年初頭に浮上した英白安保協定案も、英仏の不和が影響し、頓挫する。こうした戦勝国同士の不協和の結果、1839年条約の代替枠組みの形成は遅れ、第一次世界大戦後の欧州国際秩序も不安定な状態が長く続くこととなる。1925年のロカルノ条約をもってようやく、ベルギーの安全保障問題は暫定的な「解決」を迎えることとなるのである。
 この研究の結果、第一次大戦後のベルギー安全保障に関するイギリスの認識について、以下の結論が得られた。①ベルギー(を含む低地諸国)はイギリスの「死活的利益」だとする認識は第一次世界大戦後も英政府関係者の間で広く共有された。②しかし、その利益を平時からどの程度能動的に守るべきかに関しては、見解が分かれた。例えば、外相A.チェンバレン、そして陸軍参謀本部は、1920年から1925年にかけ、ほぼ一貫して仏白との安保条約の必要性を説いた。一方で元首相バルフォアをはじめとする多くの閣僚は、脅威が顕在化するまで安保協定は不要との見解を示した。③イギリスでは、ベルギーとフランスの安全保障は一体のものだとされる傾向が強く、ベルギーのみを対象とする保障案は広範な支持を獲得しえなかった。また、外務省を中心に、国際連盟を通した地域的安保協定の有用性が説かれた。そして1925年には、ドイツも加えることによってはじめて有効な安全保障枠組みとなる、とする考えが支配的となった。④最終的にイギリス政府は、西欧(低地諸国〜ライン川)に限定され、ドイツを敵視せず、イギリスの参戦義務が曖昧な協定であれば、推進できると決断した。このような情勢認識のもと、イギリス政府はロカルノ条約の推進を決断するのである。
 現在、この報告をもとにした学術論文を執筆中であり、学術誌への投稿を目指している。
 冒頭で述べた研究テーマに関連し、2010年度以来、毎年イギリスで史料収集を行っているが、以下に2013年度秋に渡英して集めた史料を紹介する。2013年11月に英国ロンドンの国立公文書館(The National Archives)を5日間訪問し、以下のような資料を収集した。1924年に英首相を務めたジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド(James Ramsay Macdonald)文書(PRO 30/69)から、彼の1910-1925年の日記をデジカメで撮影した。また、英外務省の一般公電(General Correspondence: FO 371)から、1925年の対ドイツ安全保障政策関連、1923年のルール占領関連、1918-1936年の対ベルギー安全保障政策関連、1920年代前半のオランダ、イタリア政策関連の文書を撮影した。さらに、内閣府の文書(CAB)から、1925年のロカルノ条約交渉に関連する内閣小委員会の議事録や覚書を撮影した。撮影資料は全て帰国後にPDF化し、整理し、読み込みを行った。これらの史料をもとに、上述した執筆・修正中の学術論文の質を向上できると考えている。

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