博士課程院生研究紹介

国際政治における情動とリアリズム ―近代日本外交を事例として―
伊藤 隆太

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
伊藤隆太 伊藤隆太「国際政治における情動とリアリズム――日独伊三国軍事同盟を事例として」 法学政治学論究 2014年3月

研究成果実績の概要

 国際政治において情動(emotion)はどのような役割を果たしているのだろうか。情動は人間性(human nature)とどのようにかかわり、そのことは国際政治の理論研究にどのような含意があるのだろうか。国家の対外行動の究極的な担い手が政策決定者という人間個人なのであれば、国際政治理論家は国際システム・国内体制(民主主義・権威主義など)・国内政治過程のみならず、政策決定者の心理的要因を理論分析する必要がある。もちろん、政策決定者の心理的要因にはパーソナリティや性格といった個別的な要因が深くかかわっている。しかし、近年の脳科学・進化心理学の発展が示すように、政策決定者の心理的要因を分析する上で不可欠な理論的概念に人間性という普遍的な要因がある。そして、この人間性の中核をなす概念が情動(emotion)である。情動は思想的には西洋政治思想のロマン主義に起源をもち、プラトンに端を発して、ルソーの政治思想と深くかかわっている。カントは道徳的な判断に与える情動の役割に否定的であったが、ルソーやヒュームは情動が道徳的判断と倫理的行動に与える役割を重要視していた。このような政治学における思想的背景をもつ情動は近年、脳科学・進化心理学の進展によって、その役割・意義が科学的に解明され始めている。情動は人間が二〇〇万年前から四万年前の間の進化的適応環境(EEA: environment of our evolutionary adaptation)に適応するために備えられて、その機能は固定化されている 。EEAと現代では様々な条件が変化しているが、情動の機能は変化していない。EEAと現代世界にはギャップがあるため、EEAに対処する機能を備えた情動は、現代では必ずしも合理性をもたない。このギャップにもかかわらず、情動が機能を変えず人間に備わり続けている理由は、EEAのもつ構造が変化と革新を続ける歴史の中で、最も安定的かつ継続性の高い性質を持っているからである 。情動は短期的にはしばしば非合理的な結果を人間にもたらすが、長期的には人間に最もよいペイオフをもたらす。
 近年の脳科学の研究は人間の意思決定には一定の普遍的なメカニズムがあり、そのメカニズムの中核となる概念の一つに情動があることを強く示している。情動は一定の認知パターンから生じると同時に、一定の認知パターンを生じさせる。このような情動と認知の相互作用には、諸文化に固有の論理のみならず、人間という種に共通する普遍的な因果メカニズムが存在する。しかし、情動と認知の相互作用に関する脳科学の重要な知見の存在にもかかわらず、情動に関する脳科学理論を国際政治に応用する試みは進んでいない。このギャップを埋めるために、本研究では脳科学の情動理論を国際政治理論のリアリズムというパラダイムと融合させて、国家の勢力均衡行動を分析する新たな国際政治理論を構築した。そして、構築した理論の因果論理の妥当性を、近代日本外交を事例として研究した。
 半年という期間の間で特に焦点を当てて研究した具体的なリサーチ・クエスションは、「情動は国際システムの勢力均衡をどのように形成しているのだろうか」というものであった。また研究目的は、情動に基づいてリアリズムの勢力均衡理論のパズル――どのように国家は勢力均衡行動を決定するのか――を理論・方法論の観点から再解釈することであった。国際政治における情動の重要性が近年に理論家の間で強く主張されているにもかかわらず、情動に基づいてリアリズムの勢力均衡論のパズルを再考察する試みはこれまでなされてこなかった。そこで、本研究ではこの先行研究のギャップを埋めるために、情動が人間の認知プロセスに与える因果効果が国家の勢力均衡行動を形成する因果メカニズムの解明を試みた。その結果、日独伊三国軍事同盟締結という近代日本外交の重要な局面を、情動リアリズムは先行研究の現実主義理論とは異なる視角から説明することに成功して、新たに構築した理論の因果論理の妥当性を一定程度ではあるが例証することができた。
 本研究には狭義の国際政治研究のみならず、広義には近年台頭する政治学における脳科学的手法への重要な含意がある。脳科学の進展は、人間の心は政治思想家ジョン・ロックが主張するような白紙状態(空白の石版)ではなく、情動という生得的な装置が備わっていることを明らかにしている。情動は人間の意思決定に普遍的・生得的な一定の条件を与えている。本研究で構築した情動理論に基づいたリアリスト理論は、近年台頭する政治学への脳科学的手法を国際政治理論研究の分野で進展させることに、一定程度寄与すると考えられる。また、今後の研究課題は国際政治における、攻撃性・暴力の研究を進めることにある。先述したように進化的適応環境(情動の機能が形成された環境)と、現代世界(情動が実際に働いている世界)の間にはギャップがある。このギャップは政治における逸脱的な攻撃性・暴力を生んでいる。それゆえ、本研究で構築した理論的枠組みをさらに洗練して、国際政治における攻撃性や暴力の因果プロセスを解明することが今後の重要な研究課題である。

戻る

研究・教育の最先端より