博士課程院生研究紹介

第一次世界大戦期日本における総動員政策
諸橋 英一

本研究テーマに関する発表

発表者氏名
(著者・講演者)
発表課題名
(著書名・論文名・演題)
発表学術誌名
(著書発行所・講演学会)
学術誌発行年月
(著書発行年月・講演年月)
諸橋英一 論文
「第一次世界大戦期における総動員機関設置過程に見る政軍関係 -英国からの影響と文民優位体制の展開」
『法学政治学論究』 第九六号(二〇一三年春季号)
諸橋英一 「国勢院とアメリカ戦時産業院 -第一次世界大戦期の総動員期間における文民優位の進展-」 『法学政治学論究』 第九七号(二〇一三年夏季号)
諸橋英一 学会報告
「総動員体制と文民優位の展開 -第一次世界大戦期における日本の総動員政策-」
軍事史学会(第二回軍事史研究フォーラム) 二〇一三年七月
諸橋英一 第一次世界大戦期日本における戦時利得税の制定過程と総力戦 史学会第一一一回大会 二〇一三年一一月
諸橋英一 “What did the Japanese Military Learn from the First World War? General Mobilization Policies and the Army’s Acceptance of Civilian Influence” 14th European Association for Japanese Studies International Conference in Ljubljana 二〇一四年八月 (予定)
諸橋英一 国際会議・ワークショップなど
”East Asia and Japanese design for Total mobilization: the past and future of natural resources and national strategy”
台湾教育部主催2012年日本東亜研究博士生台湾研修団、場所:国立台湾大学、私立淡江大学 二〇一二年一一月

研究成果実績の概要

 この研究の直接的な目的は第一次大戦期の日本における総動員政策の受容とその影響を明らかにすることである。従来の研究では同期の政策は第二次大戦の「前史」としての地位を与えられるに留まり、しかも、第二次大戦の知見を前提としてこれを分析するという倒錯が見られる。このため、未だ第一次大戦期の実情は必ずしも正確に明らかにされていない。日本にとっても第一次大戦の衝撃は大きく、政府内外で調査研究が行われ、多くの政策が実行に移されている。これらの実態を明らかにし、それが戦間期から第二次大戦へと至る時期に如何に影響を及ぼしたのかを考える(これは博士過程後の課題である)前提を確固としたものにしたい。
 これまで行ってきた研究では、まず第一に、第一次大戦期に総動員体制を契機としてそれまで軍が主管してきた領域に文民が介入するようになり、一般に言われているのとは逆に、総動員体制下では軍の地位が文民に対して低下することを英米の事例を通じて指摘した。第二に、同時期の日本では、これまで言われてきたドイツではなく、英米を参考として総動員立法を行い、動員機関を設けたことを明らかにした。そして第三に、日本の陸軍は欧米の事例を研究した結果、総動員は軍人だけでは行えないという理解を示し、文民の参画を受容する姿勢を示していたことを明らかにした。以下詳しく述べていく。
 第一次大戦において出現した新兵器は職業軍人からなる軍隊を瞬く間に破壊し、それまで戦争に関与することは基本的に稀だった国民を大規模に徴兵する必要が生じた。さらに、戦場での大量消費を賄うために、軍工廠にとどまらない大規模な生産体制も整備する必要に迫られた。こうして総力戦や総動員体制の概念が登場する。いわばそれまで軍人の専管であった戦争の国民化が進み、交戦各国とも戦争の指導や運営をめぐって、文民と軍人の関係は変化を迫られていくのである。これまで、総動員体制は軍人が経済・社会などに進出する契機となった、とする理解が日本政治史において一般的であった。しかしながら、総動員には、それまで軍が専管していた軍需の生産や調達の分野に、文民、特に財界の積極的な協力が不可欠となった面がある。つまり軍の領域に文民が関与する余地が生まれてきたと見ることができるのである。この点について、まず英国の総動員機関である軍需省や米国の戦時産業院の設置過程を検討し、動員機関は軍の領域を文民が浸食する形で成立したことを確認した。経済全体を巻き込む形で軍需の生産を行わなければならないとき、その業務はもはや軍人の能力を超え、財界人等文民の能力が必要不可欠となっていたのである。両国において軍部は、当初、自己の職域に対する文民の関与を激しく拒絶したが、効率的な経済動員に失敗し、軍に対する批判が高まるにつれて、動員の主導権を文民に委ねざるを得なくなっていったのである。
 このように、総動員機関が軍の領域を侵す形で設置されたことを確認した上で、その日本的展開を分析した。日本における法制の前提として、当時の日本が行った情報収集の対象が英米仏露に著しく偏っていたことを指摘しなければならない。従来、総動員体制といえば独逸からの影響が指摘されてきた。しかし、第一次大戦期の総動員政策については、むしろ英米からの直接的な影響を看取し得るのである。例えば総動員立法たる軍需工業動員法は英国の総動員立法を参照して起案されていた。また日本の総動員機関も文民の関与を認める形で、陸軍省に属さない独立機関による総動員運営が企図されていた。これは陸軍省内に動員機関を置いた独逸型とは大きく異なっている。英米においてすら、軍部は動員業務に文民が関わることを当初激しく拒絶したことを鑑みると、日本の陸軍省が自ら、文民の関与を認める動員機関を提案したことは注目に値する。
 さらに軍需局が国勢院へと再編される過程と、そこで行われた動員運営構想では、国勢院は英国より米国の総動員機関との類似性を有していることを指摘した。組織の大きな再編を伴わない米国型は日本にとって英国型よりもモデルとしやすかったように思われる。さらに、米国と類似の動員運営を軍が受容した背景には、総動員体制あるいは総力戦を遂行するためには、文民の力を借り、積極的に彼らと協調していかなければならないという軍側の総動員に対する現実的かつ真摯な理解が存在していた。この姿勢は文民の関与を中々認めようとしなかった当初の米英陸軍軍人と比べれば先進的といってもよいものであった。こうした姿勢は一九二〇年代中頃、永田鉄山が陸軍省において軍政の統帥に対する優位を確立し、国務との協調を強化しようとしていた試みへとつながるものと位置づけることができる。総動員機関設置時の意義を捉え直すことによって、それ以後戦間期の総動員政策を見直す契機となると考える。
 現在は戦時利得税の制定過程を明らかにすることを通じて、総力戦・総動員政策の一環としての税制に期待される役割について研究を行っている。

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